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敗戦記念日


8月15日敗戦記念日。
1945年8月15日、私は旧満州国阜新に父と母、4つ上の姉と住んでいた。まだ11ヶ月の赤ん坊。
生まれるとき、へその緒が巻き付いていて難産だったので、連絡を受けた父が満鉄のトラックを出して医者を迎えに行って・・・・
でも、医者が到着したときは生まれていたらしい。
難産だったせいか、よく泣く赤ん坊だったと、父と50年ぶりに再会したときに話してくれた。

で、敗戦、ロシア兵が、八路軍が・・・・・
又戻ってこれると母は、ニワトリ小屋に貴金属を埋めて、逃げたそうだ。
赤ん坊だったわたしは、万が一に備えて名古屋帯で作ったリュック(縫いにくかったと母)に入れられて当時5才だった姉がおんぶ。
途中で兵隊(どこの兵隊かは漠然と聞いていたので不明)がきれいなリュックだからと取り上げて、中を見たら赤ん坊だったからぽいとリュックごと捨てて・・・・・
捨てた場所が牛蒡畑で柔らかかったから命拾いしたのよ、と話されてきた。

母は小柄だったから、坊主頭にし、顔にすすを塗って少年に化け、父が作ったお菓子(生家は菓子屋)を売ったりして、翌年5月の引き揚げ船乗船までの暮らしを支えていたらしい。
目の見えない祖母(母は6人姉弟の末っ子だったが、満州に渡るとき連れて行った)は、博多に上陸後(といっても下船はすぐではなく1週間留め置かれたと聞いたのだが・・・)次姉の住む近くの吉井に戻ってエンドウ豆ご飯を美味しいと食べた後、亡くなった。敗戦後こうりゃんめしばかりで、白米に焦がれていたはず。
1才8ヶ月の私は肺炎を起こし、死ぬ寸前だったらしい。
祖母の葬式の後、喪服はなおさなくて良いと親戚が話していたと・・・・

祖母が守ってくれたのだ。
12年まえもも太郎がわが家へやってきたのは6月だったが、獣医さんが生後1年でしょうと言われたので躊躇わず、もも太郎の生まれた日を祖母の命日の5月25日にした。
 
Posted by やまもも | comments(3) trackbacks(0)
comments
人間に命があるとは、不思議なる偶然が付きまとう話ですねぇ!!!でも、その先にも僕なり多くの人々との出会いのある、やまももさんだから、もうこれは神様の技としか思えませんねぇ!!!
ポルコ・ロッソ | 2014/08/16 01:28
私の父は沖縄で少年兵として、海兵隊に所属していて、乗っていた船が攻撃で割られて、海に漂流して、なんとか生き延びたそうです。
大変な時代が日本にもあったんですよね!
今の子供たちにも平和の大事さを伝えるために、今生きている戦争体験者の話を聞ける機会が、増えるといいなと思います。
ふゆまやー | 2014/08/18 18:51
ポル子・ロッソさん
本当に人の運命とは分からないですね。大きな力が働いたと思います。
ふゆまやーさん
お父様が生きて帰られたから、あなたがここにいるのですね。そしてお子様たちにそのいのちが繋がれたことはとても嬉しいことです。それを語り伝えてくださいね。
やまもも。 | 2014/08/19 22:10









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